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メダンの夕べ 戦争と女たち / ゾラ / モーパッサン / ユイスマンス 他

4,290円

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足立和彦・安達孝信=訳 ルリユール叢書 ———————————————— プロイセンとの戦争が勃発した。本当のところ、どうして兵士の大殺戮(だいさつりく)が必要なのか分からなかった。他人を殺す必要も、他人に殺される必要も感じていなかった。 ———————————————— 戦場、野戦病院、兵舎、総司令部などにおける「現実」を直視し、戦時下の軍人や女たちの生を鮮明に描き出すことによって、戦争美化の言説に抗議の声をあげる――ゾラ、モーパッサン、ユイスマンスら6人のフランス自然主義作家が普仏戦争を記録、諷刺した短編小説集。本邦初完訳。 ———————————————— とても個人的、多様性に富み、自由に着想、執筆されているこれらの小説は、すべて一八七〇年の戦争に関わっており、形や大きさが異なる真珠が深紅の糸でつながっている首飾りのようだ。 ――テオドール・ド・バンヴィル 六人の自然主義作家という反対派がいる。短編集『メダンの夕べ』の出版によって、インク壺の極左集団が正式に結成された。 ――ジャン・リシュパン さて君に言うのが遅れてしまったけれど、「脂肪の塊」は傑作だと思う! そうだ! 青年よ! それ以上でもそれ以下でもなく、これは大家の手になるものだ。よく理解された構想と優れた文体を持ち、とてもオリジナルだ。風景や人物は目に見えるようで、心理は力強い。つまり私は魅了された。二度か三度は大声で笑ったよ。 ――ギュスターヴ・フローベール 「背嚢を背負って」は恐らく『メダンの夕べ』のなかで最も真に痛ましく、人間的事象について最も軽蔑的な理念を内包した物語である。 ――ジュール・ルメートル ■著者略歴 エミール・ゾラ(Émile Zola 1840–1902) 1840年、パリ生まれ。書店勤務のかたわら執筆を行い、『テレーズ・ラカン』(1867)などを発表。科学と合理主義に基づく姿勢を「自然主義」と呼び、運動を主導した。『ルーゴン゠マッカール叢書』を構想し、『居酒屋』(1877)、『ナナ』(1880)で成功を収める。ほかに『ボヌール・デ・ダム百貨店』(1883)、『ジェルミナール』(1885)、『獣人』(1890)など。全二十巻の叢書完成後、連作『三都市』、『四福音書』の執筆を続けた。晩年にドレフュス事件に介入し、アルフレッド・ドレフュス復権に貢献した。 ギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant 1850–93) 1850年、ノルマンディー地方のトゥールヴィル゠シュル゠アルクに生まれる。役所に勤めながらフローベールの指導のもとに研鑽を積み、1880年に短編「脂肪の塊」で成功を収める。以後、勢力的に活動して多数の中短編を発表、農民や小市民の生態を諷刺的に描いた。短編集に『テリエ館』(1881)、『ミス・ハリエット』(1884)など。長編に『女の一生』(1883)、『ベラミ』(1885)、『モン゠オリオル』(1887)、『ピエールとジャン』(1888)など。『水の上』(1888)などの旅行記も残している。 ジョリス゠カルル・ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans 1848–1907) 1848年、パリ生まれ。ボードレールの影響の濃い散文詩集『薬味箱』発表ののち、ゾラの自然主義に傾倒。『マルト』(1876)、『流れのままに』(1882)などを発表する。デカダンスの美学を謳う『さかしま』(1884)で転機を迎え、以後、自然主義から離反してゆく。『彼方』(1891)、『出発』(1895)、『大伽藍』(1898)などにおいて神秘主義や回心のテーマを追求し、自身もカトリックに転向した。絵画批評にも秀で、『現代芸術』(1883)、『ある者たち』(1889)などの評論がある。 アンリ・セアール(Henry Céard 1851–1924) 1851年、ベルシーに生まれる。ゾラに感銘を受けて親交を結んだ。『メダンの夕べ』(1880)参加ののち、自然主義の理念を追求した『美しい一日』(1881)を発表。小説家としては寡作な一方、ジャーナリストとして活動し、演劇にも関心を寄せた。戯曲に『諦めた人たち』(1889)など。1906年に長編『海辺の売地』を発表。1918年よりアカデミー・ゴンクール会員。 レオン・エニック(Léon Hennique 1850–1935) 1850年、グアドループのバス゠テールに誕生。ゾラを敬愛し、『献身的な女』(1878)、『エベール氏の災難』(1884)などの自然主義小説を発表。のちに『プフ』(1887)、『ある性格』(1889)でより自由な作風を見せた。戯曲に『エステル・ブランデス』(1887)、『アンギャン公の死』(1888)。1900年よりアカデミー・ゴンクール会員(1907‐12年に会長)。 ポール・アレクシ(Paul Alexis 1847–1901) 1847年、エクス゠アン゠プロヴァンス生まれ。文学を志してパリに上京、以後、ゾラの親友として自然主義の普及に努める。短編集に『リュシー・ペルグランの最期』(1880)、『愛への欲求』(1885)など、長編に『ムリヨ夫人』(1890)。ジャーナリストとして精力的に活動し、多数の新聞・雑誌に寄稿したほか、アントワーヌの「自由劇場」立ち上げに貢献した。 ■訳者略歴 足立和彦(あだち・かずひこ) 1976年、京都府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学、パリ第四大学博士課程修了。現在、名城大学法学部教授。専門はフランス十九世紀文学、とくにモーパッサン。著書に『モーパッサンの修業時代――作家が誕生するとき』(水声社)など。翻訳にアラン・パジェス『フランス自然主義文学』(白水社、文庫クセジュ)、アンリ・トロワイヤ『モーパッサン伝』(水声社)など。 安達孝信(あだち・たかのぶ) 1990年、石川県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学、パリ第三大学博士課程修了。現在、名城大学外国語学部准教授。専門はフランス十九世紀文学、とくにゾラ、ユイスマンス。共訳書にミシェル・ウエルベック『ウエルベック発言集』(白水社)など。 ■目次  序文  水車小屋の攻防  エミール・ゾラ   脂肪の塊  ギ・ド・モーパッサン  背囊を背負って  ジョリス゠カルル・ユイスマンス  瀉血  アンリ・セアール  大七事件  レオン・エニック  戦闘のあと  ポール・アレクシ  補遺一 (五十周年記念の再刊に寄せた)レオン・エニックによる序文  補遺二 メダンの夕べ——どのようにしてこの書が作られたか   註   『メダンの夕べ』年譜   訳者解題      ■書誌情報 四六変形上製/432ページ 2025年10月 ISBN 978-4-86488-333-7

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